メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

幻のアップロード計画

目標だった10曲分の動画をついに録り終えた。
苦労も大きかったのだが、楽しくて、すっかりはまってしまった。

そこで早速次のアップロード計画を練って、今度は少し脱線して、自分へのご褒美として、完全に趣味路線で行こうと思っていた。

その内容は、志を共にするアマチュアピアノ弾きへの声援の意を込めて、

「"20歳までに身につけられなかったメカニックは一生身につける事ができない"という通説に対する人生をかけた異議申し立て」

として、私の右手の状態のベンチマークとして弾きつぶしてしまったショパンのop.10-1の過去に録音したものを探し出してきて、20歳代後半の大変ボロボロの演奏から現在の多少ボロボロの演奏までを纏めるというものであった。

しかし、この計画は2つの方向から頓挫した。

まずひとつめは、アマチュアの世の中には私など遥かに及ばないほどの楽歴の方がいて(子供の頃バイエルしか弾いた事がなかったのに、超絶技巧曲をものともせず弾けるような方々だ)、このテーマはそのような方が語るのこそ相応しいと思った事(私も是非聞いてみたい)。

もうひとつは、30歳代前半の時、まだ右手の指回りに問題が残っていた頃の遅いテンポでミスタッチだらけの録音を聴いて、現在の私が見失ってしまったものを痛感した事だ。

そんなわけで、次のアップロードは計画倒れのショパンの残骸が幾つか(1編にしようか3編にしようか迷っている)と、趣味のバッハの小品1曲、ブルグミュラーの続編2曲で行こうかと考えた。

ピアノ教室の思い出

私が生まれた1970年代は、世に言うピアノブームの時代であった。

音楽は好きだがピアノは一切弾いたことのない両親の意向で、私は幼稚園に付属のピアノ教室でレッスンを受け始めた。

この教室のレッスン環境は、今思い返せばかなり劣悪だ(私の両親は、ピアノを弾いた事がないので、教室の良し悪しまでは分からなかったのだ)。

レッスン室は15畳くらいのだだっ広い部屋で、先生が3人とアップライト5台ほどが部屋の隅に陣取られている。我々生徒は入室するとまず真ん中の机で練習用のアップライトが空くのを待ち、ピアノが空くとそこで練習しながら先生に呼ばれるのを待ち、先生は待っている生徒を次から次へさばいていくというシステムであった(自分の音など聴けたものではない)。
1レッスンは約15分。
3人の先生は、推定20代の女性で、たぶん音大を出たてでこのピアノ教室と契約して、私の地元の田舎にとばされてきたのだろう。レッスン環境とは裏腹に、先生方は熱心で、限られた環境の中で何とかしようと精一杯取り組まれていたと思う。

この教室に、小学校6年生まで通った。ピアノは好きでもなく嫌いでもなく、私のなかでは勉強と同じ位置づけであった。大人の言うことは良くきく子供だったので、できの悪いほうではなかったと思うが、何の自主性もないつまらない生徒であったと思う。この教室を中学に上がるタイミングでやめ、最終的に到達した曲はツェルニー30番の2番までであった。しかし、ツェルニー100番やソナチネソナタアルバムは部分的にしかやらず、バッハを一切やらなかった。

私が子供の頃に受けた教育はこの程度なのだが、私が20歳を過ぎて、またこの楽器を熱心に弾き出したとき、大人になってゼロから始めた人達と比べれば若干の貯金があったことになる。

しかし音楽的な影響という点では、その後、中学1年生の時から聴き始めた、ケンプをはじめとする古いピアニストと、それに続いて聴いた古い指揮者、それから、どういう演奏が良い演奏かというモノサシを私の中に形成した演奏評論の影響のほうが、はかり知れぬほど大きい。

クーラウ:ソナチネop.55-1~1楽章

"様式感"をテーマに5曲選曲したが、最後はクーラウのソナチネをもう一曲。

大変に苦戦した。

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大人のアマチュアがピアノの先生に望むこと~私の場合

おもしろそうなテーマだったので、便乗して少し書いてみたい。

ピアノの先生方のブログの中でも、奏法に関して相当切り込んだ信念を持たれている数人の方のものを、日ごろから拝読している。

その中のひとつにピアニスト活動とピアノの先生を並行してやられている若い男性ピアノ奏者の方のブログがあるのだが、ご自身が叩き込まれたというロシア奏法をかなり詳細に解説していて、参考にさせて頂いている。

その方がたまたま演奏をアップロードされていたのを、映像は一切見ずに(見た目にごまかされない様に)音だけで聴いたところ、それがロシア奏法かどうかは拙い私には判定不能だが、間違いなく鍵盤の底への衝突を避けた音域で音楽を作る現代奏法で弾かれていて、この方は言行一致していると確信し、書かれている内容への信頼を厚くした。

これこそ、ピアノの先生に私が望むものである。

前の時代の反動で、世のピアノ教室のホームページには、今や「脱力」「重量奏法(重力奏法)」等のキーワードがあふれているのだが、果たしてその"アンチ・ハイフィンガー奏法"が、どこを志向しているものなのか把握するには、演奏を聴くのが一番である。

だから、ピアノの先生の主催されている教室のホームページの一角に、なるべく良い録音で先生の模範演奏、もしくは一番弟子の演奏等が置いてあって、先生の追及されているピアニズムの目指すところが一聴のもと判別できる状況になっていれば…というのが、私の細やかな願いである(全然細やかでないかも知れないが...)。

 

P.S. 類似の望みで、ピアノ奏法に関して書かれた全ての本に、参考演奏のCDを付けてほしいと思っている。

ブル:ブルンスウィック公爵夫人のトイ

ルネッサンス期のイギリスの鍵盤音楽からブルの小品を。

トイ(Toy)というのはおもちゃではなくて、当時の舞曲の一種らしい。

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電子ピアノの思い出


調べ物をしていたところ、「電子ピアノで弾くとアコースティックピアノよりも上手くきこえる」という記事に出くわし、思わず吹き出してしまった。本当だろうか!?
個人的には、あの音はどうも嘘くさくて苦手だ(愛好者の皆さまスミマセン...)。

そんな私も、20代の頃、電子ピアノでしか練習できない期間があった。

それは新卒で地元の企業に入社したとき、なんと私だけ他県に配属になってしまったのだ。
ピアノのある実家には、週末しか帰れない距離である。
仕方なく私は、当時発売されて間もない"グランタッチ"の中古が売られているのを見つけて即購入し、配属先に持って行った。

その頃の私は合理奏法の知識がほとんど無くて、曲げた指=ハイフィンガー、伸ばした指=重量奏法くらいに思っていた。
そして右手の指の独立がおかしいのを、1日2~3時間のグランドピアノでの練習によって何とか指が回るように保っていた。

そんな状態だったので、疑似ハンマー付きのグランタッチといえど、右手の衰えを食い止めることはできなかった。
実家に帰ってグランドピアノを触るたびに、白鍵をドレミファソファミレド(運指:123454321)と右手で弾いた時のファの音(薬指)が、みるみる発音できなくなっていった。当時ついていた先生も、衰えを食い止める術を持たず、「社会人になって練習できなくなったのだから、仕方がないよね」くらいの感じであった。

私は、赴任地にグランドピアノを持っていく以外の(←置けないので)ありとあらゆる方法を試した。
腕に重りをつける練習方法を初めて試したのもこの時期だったと思う。
あるサイトに、グランタッチの疑似ハンマーは実際のものよりも幾らか軽いので鉛を足すのが良いと書かれているのを見つけて、鉛シートを買ってきて88鍵全部のハンマーの柄に巻きつけてみたりした。

しかし、すべて駄目であった。

これまで自分が積み上げてきたものは、こうも簡単に無くなってしまうものだったのだと失望した。
いっそのこと右手を切り落としてしまいたいとさえ思った。


この状況が、だいたい3年くらい続いた。

その後、この職場が不景気の煽りを受けてぐちゃぐちゃになってしまい、私は現在の会社に拾われて、グランドピアノで練習できる状況に戻れた。

しかし、3年かけて壊れたものは、戻るのに3年以上かかった。

 

この時のグランタッチは、今は実家に置いてあり、10年以上経った現在も、どこも壊れておらず普通に弾く事ができる。

ハンマーに巻いた鉛は、全て取って捨ててしまった。

B.マルチェロ:ソナタ ト長調~1楽章

イタリア・バロックの鬼才B.マルチェロの小さなト長調ソナタの1楽章。

楽譜が手書き譜しかないうえにハ音記号が出てきて読めなかったりと、苦労した…。

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クーラウ:ソナチネop.20-1 1楽章(再録音)

今日は仕事が午前中休みだったのを利用して再収録をした。

ようやく最低水準を超えたものが録れた感じだ(前の2つの動画は消去します)。

ピアノ教本からの懐かしの1曲という事でさりげなく選曲したのだが、たいへん勉強になった。

一番難しかったのは第2主題のdolceから16分音符のスケールに入る個所である。

この第2主題をソプラノ歌手が歌うような感じで弾いてそのままスケールに入ると、大変に難儀する、というより、正確に弾く事ができなかった。

ここのdolceは、1/3くらいの深さのペダルを踏んでいるのだが、打鍵後に次の音を弾くまでの間に音を持続させておくために指で鍵盤を下げておくような弾き方を無意識的にしており、この感覚のまま16分音符に行くと、離鍵動作の不整合によって問題が生じるのだと思う。

そこで、この第2主題をソプラノ歌手ではなくてバロック・ヴァイオリンを模してもっと乾いた感じで歌うか、もしくはその後の経過句を使って、打鍵と同時に離鍵するような感覚のタッチに切り替える。そうすると、16分音符が楽に弾けるようになる。

別の例えとして、耳で聴いた感覚的な話をする。

このスケールを、新米のコシヒカリの炊き立てご飯のような光沢の粒立ちで弾く弾き方は、何も苦労せずにできるのは運動神経がMAXな高校生までで、普通の大人は、毎日全調のスケールを練習しないとできないような、難しい、負担の大きい弾き方である。

一方、このスケールを、カリフォルニア米で作ったエビピラフのような粒立ちの音でパラパラと弾くと、はるかに楽に弾く事ができる。

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フレスコバルディ:ガイヤルド2番(トッカータ第2集より)

現在のクラシック・ピアノ界が忘却している最大の作曲家。

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グールドのモーツァルト:ソナタ全集(CBS=SONY)

久々にグールドのピアノでK.545を聴いた。
私も馬齢を重ねたせいか、グールドが志向していたものが、何となくわかるような気がする。
1楽章を普通に読むと、まずピアノ協奏曲27番K.595の1楽章の第1主題を連想するような第1主題がピアノ(強弱記号ではなくて楽器の)で出てきて、その後協奏曲ではオケと掛け合いながらの展開が続くところを、僅か数小節の、Vnのきざみを連想させるスケールで代用して終始させる。

これをグールドの演奏で聴くと、冒頭からピアノがピアノであることを否定していきなり弦楽合奏として入ってきて、合奏のままスケールに入る。
こういう個所が至る所にあり、例えば次の第2楽章の冒頭の弾き方も、明らかにピアノではなく弦楽奏を模している様に聴こえる。

つまるところグールドは、モーツァルトソナタ中でピアノがピアノの役割をする部分、主観的に言い換えると、モーツァルトの中に1/3くらいある、ドイツロマン派につながる核の部分を極小化して音楽を作っている。

(これは、確かグールドが、モーツァルトは作風を初期のまま固定化すればよかったのだ!みたいな論を持っていたという話と共振する)。
しかし、モーツァルトの曲は、そのようにも読めると思うのだ。
この、当時のイタリアあるいはフランスの様式を前面に感じさせる演奏スタイルは、モーツァルトの持つドイツロマン派の側面を表に出した演奏と同じだけの説得力があると、私は思う。

ソナチネ・アルバム問題

昨日は私自身の運指能力の低さに自己嫌悪に陥っていたのだが、録ったものを今朝あらためて聴き直し、ちゃんと弾けていないだけで、悪くないと思うようになった。

ところで、全音版を見ながら弾いたものでは、スラーをいくつか取っ払ってしまっているのだが、この教育用普及版に付加されている音楽記号に従って音楽を肉付けしていくと、もともとロマンティックな演奏が好きな私でさえ重すぎると感じるような音楽になってしまう。

いまメトードローズをやっている息子が、このまま順調にいけばあと数年でこのソナチネアルバムに入る事になるのだが、果たして親としてどうすればよいのか悩んでしまう。

息子の先生は恐らく、教育用普及版を使用されるはずである。
ここは親として、原点版でレッスンして下さるようお願いしようか?
(意識高い系!?)
しかし原点版に音楽記号がほとんどないのは、演奏者が「ある程度あなたの思うようにやって良い」と委託されているようなものなので、初心者が使うべきでは無いとも思うのだが…。

どなたかが、こういう版を創らないだろうか…。
ソナチネアルバム校訂版(ドイツ風アーティキュレーション
ソナチネアルバム校訂版(イタリア風アーティキュレーション
ソナチネアルバム校訂版(フランス風アーティキュレーション

クーラウ:ソナチネop.20-1~1楽章

最初の5曲にブルグミュラーを入れたので、次の5曲の中にはソナチネを入れようと思って、先ずクーラウのop.20-1の1楽章を選んだ。

手元に全音普及版が有るのだが、校訂者による音楽記号のうち納得いかないものを消してしまおうと思い、IMSLPにあった原典版から採譜されたと思しきファイルを印刷して参照し、いくつかのスラーを消して弾いてみた。

何度か試したのだが16分音符のスケールのタッチが揃わず、気分を変えてみようと思い、印刷した原典版を譜面台に置いた。
譜面からくる印象を忠実に音化していったところ、かなり別の演奏になってしまった。

残った時間を使って両方を折衷するような弾き方(かつ、整った16分音符)を試みたのだが、失敗に終わった。

そこで、不完全な演奏ながら両方をアップロードする事にした。

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次の5曲

半月前、自分の演奏したものをyoutubeへアップロードする事を思い立った時点では、1週間に1曲くらいのペースで、とりあえず5曲上げてみようと思っていたのだが、やってみるとこれが大変に楽しくて、あっという間に2週間で終えてしまった。

自分の弾いたものをあらためて聴き直してみると、演奏能力の低さに恥じ入るばかりだ。特にペダリングが雑で、これは言い訳だが、狭い室内なのに豊かな響きを作ろうと試みて、むしろ音を濁してしまっている。

日々チェックしているロシア奏法の先生のブログの中の話で、自分の響きに飽きてしまった生徒さんの事が出てくるのだが、私も、自身の特にブルグミュラーを聴き返していると、この生徒さんの思いに共感できる。

そこで、次にアップロードしてみたい作品を5つ、『様式感』をテーマにして選んでみた。ロマンティックな気質を抑制しないと崩れてしまうと考えている5曲である。

ところで、昨年末から始めた譜読み12000ページ計画が進行中で、録音用の曲の練習に割ける時間は平日に各5分と土曜日に1時間しかない。

そこで、選曲のポリシーとして

・手持ちの楽譜で2ページ以下

ルネッサンスバロックが半分、古典~近現代が残り半分

・弾いた事のある曲が半分、初めての曲が残り半分

・知られている作品が半分、埋もれている名作が残り半分

を目安にして決めている(実は、最初にアップロードした5曲もこれで選んでいる)。

今度こそ、演奏の質を維持するためにも、1週間に1曲のペースで録音していこうと思う。

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パデレフスキとチャップリン

毎日更新チェックする巡回ルートに入っているブログで、書き手のkazさんがパデレフスキの事を書かれていたのを読んで、ふと思い出した。(愛国者として、ピアニストとして・・・ - ピアノのある生活、ピアノと歩む人生


それは映画『独裁者』のワンシーン。

チャップリン扮する独裁者ヒンケル(いうまでもなくヒトラーの模倣)が、まさにオスタリッヒ(オーストリア)を併合せんともくろんでいる時に、次なるポーランド侵攻の思いを胸に秘めて(!?)ピアノに向かって弾いているのが、パデレフスキのメヌエットなのである。

ヒンケルは、メヌエットのテーマの部分を、かなり崩して弾いていた。

このシーンを初めて見た時、映画の細部にまでこだわりを入れるチャップリンに驚いたものだった。

バッハ:"いと尊きイエスよ、われらはここに集いて"BWV.706-2(第2バージョン)

実は昨日に小前奏曲と一緒に録画したのだが、いかにも付け焼刃な気がして、聴き返していて遅くなってしまった。

バッハのオルガン・コラールのうち、手鍵盤用に書かれたものはピアノで演奏するに値するのではないか?と前々から思っていた。

ピアノ演奏によるCDなど出ていないので、こうして自分で弾いたものを客観的に聴いてみるのだが、うーん、果たしてどうだろうか…。

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