メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

ト調のメヌエット

最近、動画を10曲録った記念に、自分へのご褒美として(?)譜読み用の廉価版キーボードを購入した。
夜にこれをリビングのテーブルの上に出して、耳と指の関係がおかしくならないように音色をチェンバロか教会オルガンにして、最小の音量で鳴らして譜読みをする。

このキーボードに何十曲かのデモ演奏が入っていて、その楽譜が付録でついてきた。
そのなかに、アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳に入っている有名なト調のメヌエット(実はペツォールト作)が入っていた。
私は子供の頃のレッスンでバッハを一切やらず、このメヌエットも初めて弾いて触ってみたのだが、見事な作品だと思う。
主題が2度目に弾かれる箇所で、左手が対位法的にちょっかいを出してくるところとか(いかにもバッハが好みそうな!?)、そのあと右手の音域がふわっと上がって光が差してくる個所など、味わい深い。

幼稚園児が発表会で弾くような曲なのだけれども…。

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吉田秀和さんの『フルトヴェングラー』(1)

心が和んだエピソード。

最初の章に出てくる話で、作曲家の別宮貞雄さんと一緒にフルトヴェングラーの振る『運命』を聴きに行った吉田さんは、会場で作家の大岡昇平さんとばったり会う。

演奏後に3人で食事をとりながら音楽の事をしゃべるのだが、吉田さんと別宮さんが、ヨーロッパ音楽史上最も良くできた曲と考えている『運命』に対して、大岡さんはいつ聴いても退屈な曲だという自説を展開する。
それを聞いた吉田さんは、決裂するどころか大岡さんの「世間がどう言おうが自分はこう思う」という首尾一貫した態度に、大きな敬意を払う。

このような寛容さというか、対立する意見をも包み込むような視座を、最近の私たちはどこかへ置き忘れてしまっているような気がする…。

ブルグミュラーの思い出

子供の頃に受けていたレッスンでは、25の練習曲を15曲くらいしかやらなかった。

この曲集と再会したのは、たぶん大学生の頃だったと思う。
興味の対象がピアニストから作曲家に戻っていた時期があって、カタログを片手に色々な作曲家のピアノ曲をCDで買って聴いていた。

そのなかにブルグミュラーが入っていて、新たに18と12の練習曲を、たしか芸大教授の田村さんがレッスン者向けに弾いたCDを買ってきて、初めて聴いた。

しかしなぜか私には、この初級者向けの25の練習曲の方が優れた作品集のように思えた。

この25の練習曲の中の数曲は、ロマン派小品のように主観的な感じ方を前面に出して演奏すれば(つまり、レッスン現場で顔をしかめられそうな弾き方をすれば)、一級品なのではないか?

当時私はピアノのサークルに所属していて、演奏発表会でこれを出してみようかと1度ならず真剣に考えたのだが、極度のあがり症で人前で弾くのが大の苦手なので、結局実現せずに幻の計画に終わった。

だから、自分の最良に近い状態の演奏が録画できるようになった時に真っ先に名誉回復(?)してみたいと思ったのが、このブルグミュラーの数曲だった。

 

これが最後。22番「舟歌」。

子供の頃、なかなか丸がもらえなくて苦労した曲。

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ケンプの戦時中のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全録音(APR 7403)

この復刻盤がもたらした最大の恩恵は、これまで漠然と"ケンプの戦前の演奏スタイル"と捉えていたものが、いくつかのソナタで30年代までの演奏と40年代の演奏を聴き比べられるようになった事だ。
どちらの年代のケンプにも共通するのは、当時のドイツの指揮者にも見られるような主観的かつ表現主義的な演奏である。そのなかにも、30年代までの録音は田園的・牧歌的なおおらかさがあり、40年代のものはこれらが後退して、そのかわりに切迫感が増す(当時のドイツの戦況との関連を想像せずにはいられない)。そして後者では打鍵が深くなったという印象も残る。
聴き手によっては、この戦時中の録音をケンプのベートーヴェン録音の中で最上位におくに違いない(私は後年のステレオ録音の方が好きだが、この考えにも大いに賛同できる)。
この後50年代にモノラルで録れたソナタ全集では、燃焼度の高さはそのままに、ロマンティックさや主観性を内面に抑制してしまう。
この変化の中には、最新の研究による楽譜を読み直した成果とか、解釈を掘り下げた結果というだけでは説明できないような、何かがある…。

ここで私はふと思い出して、吉田秀和さんの著作『フルトヴェングラー』を読み直した。

1957年3月の文章では、吉田さんは亡くなる直前のフルトヴェングラーを聴いた事を書いているのだが、(日本の天皇と同様)必要によって脱神格化が叫ばれていたドイツ音楽で荘厳な儀式・荘厳な熱狂を身をもって体験した事を、吉田さんの文章とは思えない(あえて言うなら宇野功芳さんのような)むき出しの感動をもって綴る。

しかし、そのすぐ後に書いた文章で、このむき出しの感動を"文法的にみても誤りでしかない"とか"いけない。話にならない。"と、非常に気まずい何かの現れを隠すように否定するのに遭遇する。

はたして戦後の芸術界では、前述の脱神格化と同じ要請によって、冷静さを失う程に熱狂させる何かを、過ちを招きかねない危険なものとして社会的に蓋をしようとする暗黙の了解が、どの程度に働いていていたのだろう?
ケンプが50年代の全集で取り払ってしまった、熱に浮かれて疾走するような演奏スタイルも、同じ水脈の中の出来事であったのではないかと、漠然と感じた。

ケンプの未完のベートーヴェン:ソナタ全集(1回目録音)

ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集では、DGへの2度の全集に先立って、戦前から戦中にかけて全集録音が試みられたが未完に終わったことが、良く知られている。
この未完の全集の復刻は、私がまだ学生だった頃にフランスのDanteレーベルから出た、ソナタの他にもいろいろ取り混ぜて全10枚の復刻盤を愛蔵していて、私はこれが録音のすべてだと思い込んでいた。

しかし今回APRが復刻に着手したことによって、何と私の知っていたのは氷山の一角であったことが、そして録音の全貌が明らかになった!

APR復刻第2集となる戦時中の78回転盤録音全集(今回の復刻の目玉だ!)を聴いたばかりなのだが、個人的な感想を書く前に、私はどうしても吉田秀和さんの著書『フルトヴェングラー』を読み直したいと思った。

そこで、この本は今から購入するところであるので、まずは前哨戦として(?)、世のケンプの芸術を敬愛する同胞諸氏の多かりし事を祝福して、APR盤の解説書に記載されている戦前~戦中のソナタ録音の全データを羅列し、Dante復刻とAPR復刻(現在第2集まで)を比較したい。

なお、APRとDanteの記載データが異なっている場合があり、信頼の高そうなAPRに準拠している。

 

ソナタop.2-2
・1940年録音(Grammophon 67590/2):Dante HPC071, APR 7403

ソナタop.7
・1940年録音(Grammophon 67806/9S):Dante HPC023, APR 7403

ソナタop.10-1
・1940年録音(Grammophon 67810/1):Dante HPC070, APR 7403

ソナタop.10-2
・1940年録音(Grammophon 67812/3S):Dante HPC070, APR 7403

ソナタop.10-3
・1940年録音(Grammophon 67814/6):Dante HPC036, APR 7403

ソナタop.13
1924年録音(Grammophon 66176/7)
・1928年録音(Grammophon 66676/7)
・1929年録音(Grammophon 90184/6):Dante HPC075
・1936年録音(Grammophon 57051/2):これは広島でのオルガン演奏などを収めた記念盤"多彩な音楽家の肖像"中に収録されている録音と考えられる。
・1940年録音(Grammophon 67682/3):APR 7403

ソナタop.14-1
・1940年録音(Grammophon 67817/8S):Dante HPC075, APR 7403

ソナタop.14-2
・1940年録音(Grammophon 67819/20):Dante HPC075, APR 7403

ソナタop.22
・1940年録音(Grammophon 67821/3):Dante HPC075, APR 7403

ソナタop.26
1924年録音(Grammophon 66041/3)
・1928年録音(Grammophon 66684/6)
・1932年録音(Grammophon 95465/7):Dante HPC036
・1940年録音(Grammophon 67824/6):APR 7403

ソナタop.27-1
・1941年録音(Grammophon 67858/9):Dante HPC071, APR 7403

ソナタop.27-2
1924年録音(Grammophon 66172/3)
・1928年録音(Grammophon 66674/5)
・1929年録音(Grammophon 90191/2):Dante HPC046
・1941年録音(Grammophon 67856/7):APR 7403

ソナタop.28
・1941年録音(Grammophon 67860/62):Dante HPC076, APR 7403

ソナタop.31-3
・1935年録音(Grammophon 57003/5)
・1943年録音(Grammophon 68273/5S):Dante HPC076, APR 7403

ソナタop.53
1924年録音(Grammophon 66036/8)
・1928年録音(Grammophon 66678/80)
・1932年録音(Grammophon 95474/6):Dante HPC036(?):43年録音の番号が記載されているが、手違いでおそらくこの32年録音だと思う。
・1943年録音(Grammophon 68276/8):APR 7403

ソナタop.57
1924年録音(Grammophon 66033/5)
・1928年録音(Grammophon 66681/3)
・1932年録音(Grammophon 95471/3):Dante HPC023
・1943年録音(Grammophon 68270/2):APR 7403

ソナタop.78
・1932年録音(Grammophon 90193):Dante HPC023, APR 6018

ソナタop.81a
1924年録音(Grammophon 66174/5)
・1928年録音(Grammophon 66687/8):Dante HPC023, APR 6018

ソナタop.90
1924年録音(Grammophon 62491 & 66039)
・1928年録音(Grammophon 62639 & 66712):APR 6018

ソナタop.101
1924年録音(Grammophon 66178/9):APR 6018

ソナタop.106
・1936年録音(Grammophon 67077/81):Dante HPC019, APR 6018

ソナタop.109
・1936年録音(Grammophon 67091/2):Dante HPC046, APR 6018

ソナタop.110
・1936年録音(Grammophon 67088/90):Dante HPC047, APR 6018

ソナタop.111
・1936年録音(Grammophon 67093/5):Dante HPC019, APR 6018

古楽オタクがキーボードを弾くと・・・たぶんこうなる

14世紀イタリアの作曲家ランディーニ(Francesco Landini)の代表曲「春は来たりぬ」。

もとは声楽曲だが、撥弦楽器の音色で弾いてみると…。

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クラシック・オタクがキーボードでバッハを弾くと・・・たぶんこうなる

少し前に譜読み用に購入した61鍵キーボードで夜練習をしていたところ、つい思いついて、勢いで録音してしまった。

ああ、平日の深夜にこんな事してる場合じゃないのに…。

最後の方の和音を一か所間違えた。バッハさん、すみません。。。

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アルハンブラ宮殿のギーゼキング(rtve Musica)

新たなライヴ録音が発掘されると、既出盤と曲目がかぶっていようが、入手を検討するために必ず試聴チェックする歴史的ピアニストが二人いる。ひとりはスタジオ録音との落差が大きすぎのルービンシュタイン。もうひとりは、少しでも良い音質で聴いてみたいギーゼキングだ。

当盤は亡くなる直前の1956年6月27日にアルハンブラ宮殿の中庭で行われたというオール・ドビュッシー・プログラムのライヴ録音。スペイン国営放送(RNA)のマイクロフォンが捉えたというホールの残響を豊かに含んだライヴ録音が残っていようとは、まさに奇跡。これはリマスター時に疑似ステレオ処理がなされているせいなのかも知れないが、ギーゼキングが楽器からひき出す低音域から高音域へわたる響きが、EMIのスタジオでのモノラル録音では完全に同じ位置から発せられたような平板な響きになってしまっているのが、実際のホールでどのように立体的かつ重層的に鳴っていたかが手を取るように分かる。

ただし、この盤の神がかり的な高音質は残念ながらプログラムの前半まで。その後響きの立体性が急速に悪化し、後半の前奏曲第2集からの数曲に至ってはEMIのモノラル録音と一長一短になってしまう。これは原盤が後半で劣化しているのか、宮殿に人が増えて音響が変わったのか、それとも録音マイクの不調でバランスが崩れただろうか?大変に残念だ。(なおピアニストの調子そのものは、ライヴならではの高揚が見られる箇所はあるにしても、特段良くも悪くもないといった感じの、いつものギーゼキングである)。

どなたかギーゼキングの熱烈なファンの方が、彼の遺したモノラル録音を命がけで疑似ステレオ化しないだろうか?

そうしたら、私は絶対に買うのだけどなぁ…。

ブルグミュラー:25の練習曲~13番「なぐさめ」

2部形式で書かれているうちの後半部を、前半部と同じだけの音楽的重さで弾くことができない、私としては秘蔵の名曲。

昔使っていた全音標準版とその元ネタと思しきPeters版では繰り返し記号を使わずに2ページにわたって書かれているが、schirmer版では繰り返し記号付きで1ページにまとめられている。それに準拠して、繰り返しを省略した。

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ピアノ音楽の源流探索2017~A.ガブリエリ

A.ガブリエリ(1532-1585)

ルネッサンス期のヴェネツィア楽派の作曲家で、ジョヴァンニ・ガブリエリの叔父にあたる。鍵盤音楽の作曲家としては、ジョヴァンニよりも多くの作品が体系的に残されている。

このなかでピアノで弾くのに最も適している作品は、やはりリチェルカーレであろう。

これは解説書にも述べられているのだが、リチェルカーレは声楽曲でいうところのモテットに近い書法で作曲されていて、いちばん純音楽的というか、鍵盤を選ばずに弾けるように感じる。

A.ガブリエリのリチェルカーレはまとまった大作として第2集(Ricercari: libro secondo)と第3集(terzo libro de ricercari)がある。このうち第3集はトッカータ的な要素が強く、書法的に厳格な第2集が最もピアノ演奏に向いていると思う。

・楽譜(IMSLP):

http://imslp.org/wiki/Organ_and_Keyboard_Works_(Gabrieli%2C_Andrea)

この版のvol.2 ricercari book1の全曲とvol3.ricercari book2の中の2曲が、後述のロレッジャンのCDで第2集(libro secondo)になっている。

・音源:ロレッジャンの演奏による鍵盤音楽全集(Brilliant)によって、私はようやく全貌が見渡せるようになった。

和文英訳とピアノと孫子

仕事柄、海外の技術者と英文メールでやり取りをすることが、たまにある。

英語はせいぜい学校で習った程度なので、思った事を直接英文で書き出すことができず、結局Google等の自動翻訳を頼ることが多い。

先ずは書きたい内容を日本語で翻訳に入れてみて、出てきた英文を吟味する。
書けないうえにろくに話せないのだが、英文を読む機会だけは結構あるので(マニュアルや論文を読む場合だ)、自動翻訳された英文がさまになっているかは何となく判断できる。いまいちだと思ったら、別のニュアンスの日本語を入れてみて、再度訳させる。この作業を数回繰り返すと、メールで送って恥ずかしくない程度の文章が完成する。

これ、実は曲を練習する時の状況にそっくりだと、気づいてしまった!

私はせいぜいツェルニー30番中退なので、○○奏法の腕の使い方はどうとかいう話は、聞きかじった程度の知識しかない。しかし、本業?本趣味?がクラシック・オタクなため、自分で弾いて出てきた音楽が理想通りになっているかがある程度判別できるので、トライ&エラーを繰り返すと、それらしき外観になる。しかし本格的に学んだ人が聴いたら、ハリボテに見えることも多いだろうなぁ…。

そういえば、孫子の兵法の有名な言葉

「敵を知り、己を知れば百戦あやうからず」

には先があって、

「敵を知らずして、己を知れば一勝一敗す」

と続く。
これに即して言うなら、
"弾きかたの良し悪しを知らずに演奏の良し悪しを知っていれば、上手く弾けるときもある"
という感じだろうか…。

ショパンの練習曲op.10-1をめぐる人生の3つの断片(3)

右手の指の不調が治ってきて、ピアノを楽に弾く奏法の知見を深めた私は、ようやくこの作品を、以前よりもましに弾けるようになった。

そこで私は、現在の自分が、この立ちはだかる壁をどれくらい登ったか、過去の演奏がどれくらいひどかったかを、この機会に纏めておこうと思った。


PCの奥底に眠っていたいちばん古い録音は、30歳代前半の時の演奏だった。
それは日々の練習をUSBマイクで録っておいたもので、その中に、最後まで止まらずに弾いているテイクが有った。

 

この演奏を聴いた私は即座に、自分の考えの誤りに気付いた。


当時の私の右手の状態は、就職とともに再発した指の独立不具合が徐々に回復してはいたのだが、今よりずっと遅いテンポで、大量のミスタッチをしながら弾いていた。
しかしそこには、下手くその一言で切り捨てられない何かが有った。
現在の自分が失ってしまった、何かが…。

 

私は、私のショパンを録りなおした。


四分音符=120
ショパンが楽譜に指示した速度と比べて著しく遅いンポ。

今風に言えば、誤った解釈。

しかし私は人生の多くの時間を、このテンポで演奏した時に立ち上がってくる音楽と共に過ごしてきた。私は、人生の一部として、この音楽を背負っている。

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P.S.

この演奏のみアップロードしようかと(前のふたつの演奏は不要ではないかと)、結構悩んだ。

ショパンの練習曲op.10-1をめぐる人生の3つの断片(2)

息子を初めてピアノの先生の所に連れて行ったとき、こんな事を話した。

"私は今でもピアノを弾いているが、子供の頃に十分なメカニックを身につける事ができなかったので、上手に弾く事ができない。
息子には、音大に行かせたいとまでは思わないが、入れるくらいのレベル、つまりショパンの練習曲がちゃんと弾けるくらいになって欲しい。"

しかし私は、帰り道で考えた。

自分の叶わなかった夢を息子に託すというのは、どの程度に親心で、どの程度に自分自身の人生に対する言い訳なのだろう!?


私は、私の夢の続きを、自分自身の手でふたたび追いかける事にした。

ショパンの指定したテンポ、四分音符=176。
それっぽく弾いている様に見せかける事はできるが、今もちゃんと弾く事ができない。

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P.S.
その後、息子は天与の才能の片鱗を、ピアノ、、、ではなくて、鉄道の分野で発揮している(笑)。

ショパンの練習曲op.10-1をめぐる人生の3つの断片(1)

初めて最後まで譜読みしたのは、そう、まだ20歳代半ばの頃だ。

当時、私はこの曲を毎日2時間練習したが、メカニック上の問題を抱えた右手では、どんなに頑張ってもクロイツァー版のテンポ(四分音符=104だったと思う)でボロボロになりながら弾き終えるのが限界だった。

当時習っていた先生に話してみた。
「この曲のショパンの指定テンポ、いくらなんでも速すぎますよね」。
「そうかなぁ、この曲の雄大さを表現するには、私はこのテンポだと思うけれど…」。

ああ、この先生は何の苦労もなく指が回るのだな…。

私は頼んだ。ツェルニー30番ソナチネ・アルバムからやり直すから、音大生のようなちゃんとしたメカニックを身に付けたいと。

しかし先生は、私を諭すように言われた。
「あなたは大人のアマチュアなのだから、それよりも今持っている良いところを伸ばしなさい!」

 

しかし私は、どうしても諦めることができなかった。

当時は、まだブログこそなかった時代だが、インターネットのサイトがようやく充実してきており、ひとりでもピアノの調べものができるようになってきていた。

私は、自分と同じような境遇の、若い頃はこの曲に歯が立たなかったが歳をとって弾けるようになったアマチュアの方がいないかと、探した。

しかし、そんな人は見つからなかった。

代わりに見つかったのは、ほとんどピアノを弾いたことが無かったのに僅か数ヵ月でこの曲を弾けるようになってしまった天才がひとり。

もうひとりは、この立ちはだかる壁に何年も挑戦したが未だに弾けないという人で、その方はこのような事を書かれていた。
「凡人には決して到達できない境地というのがあって、私も若い頃は諦めきれなくて何度も挑んだが、歳をとった今、そういう世界がある事を受け入れられるようになった。今では、挑戦できたことを誇りに思っている」。
ああ、私もこの人と同じなのだなと感じた。

私はこの曲を、持っているCDのように演奏する事は、一生できないのだな…と。


15年前の私の見果てぬ夢、遅めに弾いているピアニストの録音のテンポ、四分音符=144。
今でもCDのように正確に弾くことはできないのだが…。

youtu.be

P.S.

当時の私にアドバイスするとしたら、何と言うだろう…。

「夢を諦めるな!ただし、ゴドフスキ編曲版は、あれは諦めろ。一生かかっても無理だ(笑)」。

幻のアップロード計画

目標だった10曲分の動画をついに録り終えた。
苦労も大きかったのだが、楽しくて、すっかりはまってしまった。

そこで早速次のアップロード計画を練って、今度は少し脱線して、自分へのご褒美として、完全に趣味路線で行こうと思っていた。

その内容は、志を共にするアマチュアピアノ弾きへの声援の意を込めて、

「"20歳までに身につけられなかったメカニックは一生身につける事ができない"という通説に対する人生をかけた異議申し立て」

として、私の右手の状態のベンチマークとして弾きつぶしてしまったショパンのop.10-1の過去に録音したものを探し出してきて、20歳代後半の大変ボロボロの演奏から現在の多少ボロボロの演奏までを纏めるというものであった。

しかし、この計画は2つの方向から頓挫した。

まずひとつめは、アマチュアの世の中には私など遥かに及ばないほどの楽歴の方がいて(子供の頃バイエルしか弾いた事がなかったのに、超絶技巧曲をものともせず弾けるような方々だ)、このテーマはそのような方が語るのこそ相応しいと思った事(私も是非聞いてみたい)。

もうひとつは、30歳代前半の時、まだ右手の指回りに問題が残っていた頃の遅いテンポでミスタッチだらけの録音を聴いて、現在の私が見失ってしまったものを痛感した事だ。

そんなわけで、次のアップロードは計画倒れのショパンの残骸が幾つか(1編にしようか3編にしようか迷っている)と、趣味のバッハの小品1曲、ブルグミュラーの続編2曲で行こうかと考えた。