メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

あるピアノ愛好家が人生で出会ったもの・考えたこと

やはりここは言葉ではなくバッハで、、、

いつもにもまして急ごしらえのため、
これ以上のテンポでは弾けず、しかもノーミスで弾けないのですが、、、

コルトー編曲ではなくて、このケンプ編曲の"アリオーソ"をどう思われているか、
聞いてみたかったです。。。

 

結局何も書けずじまい…

私はただのblog読者で、リアルタイムで読ませて頂いていたのは2年足らずの間だったのだが、ここで何事もなかったかのように素通りするのが憚られるような何かを投げかけられ、受け取った気がするのだが…。

しかし、交流があったであろう著名なブロガーさん達が、けっこう沈黙していたりして…。

だから、こう感じているのは、私が比較的似た人種(CDコレクターがピアノを弾いてしまったようなタイプ!?)で、波長の合う部分が多かった為かも知れないと思われ…。

それゆえ「音楽に対する熱い思いをたくさん受け取りました!」みたいな紋切り型ではなくて、"オタクの心に映った先輩オタク(失礼!)"みたいな丸出しの文章を書くのが相応しいと思ったのだが…。

例えば「○○の演奏が良いと紹介されていて、私もこれは素晴らしいと感じた。しかし△△の演奏は、私はどうかと思った。逆に□□の演奏はどう思われているかお聞きしたかった…」みたいな!?

だが、、、

試しに書いてみて思ったのだが、これはまるで追悼を利用して自分の知識を開陳しているかのような、嫌な感じの文章になってしまい…。

結局何も書けなかった…。

モンセラートの朱い本より《喜びの都の女王》

天上の響きのする音楽(8/10)

曲順にアップロードしたため順番が逆になってしまったが、この《喜びの都の女王》を試しにピアノで弾いてみた結果、ランディーニと並べで一連の「朱い本」を録音することに決めた。
これらの中世歌曲6曲は、入院騒ぎを起こした翌週にすべて録音した(ひと月半分の"録音貯金"を作った事になる)。演奏はすべて、通常のピアノ演奏では禁止されるような音域、即ちpp~pppppで弾いている。同じような楽想で、しかしpで弾いているフレスコバルディのpassacali(お腹を痛めながら録音したやつ)と比較していただければ、これら6曲でどんな音の立ち上がりが欲しかったか理解いただけると思う。
しかし、自分の中でこの6曲の録音の評価は難しい。比較対象となるプロのピアニストの録音があるわけでもなく…。早々に本編に復帰すべき"寄り道"なのか、それとも、これまでの自撮りの中で最も上手くできた録音群なのか…。

 

 楽曲解説はこちら(モンセラートの朱い本)

モンセラートの朱い本 - Wikipedia

【原曲】
サヴァールエスぺリオン20のCDが愛聴盤。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0045QNLHE/ref=dm_ws_tlw_trk9

【楽譜】
これの9曲目。右側の調性で弾いている。

http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/7/78/IMSLP187398-WIMA.0077-LlibreVermell.pdf

熊本マリさんの弾く奥村一:日本民謡ピアノ曲集(DENON)

以前どこかで書いたかもしれないが、私はト音記号とへ音記号と各種音符の高さと長さが分かるという意味では楽譜が読めるのだが、聴いた事のない曲の楽譜を渡されてどんな曲か判るかどうかという意味では楽譜が読めない。

そんなわけで、大学生の頃、チェルカスキーのアンコール集(ASV)の片隅に収録されていた奥村一の"おてもやん"と"音戸の舟唄"に興味をもって「日本民謡ピアノ曲集」全2集の楽譜をえいやぁっと購入したのだが、この2曲以外の曲がどんなものだか判らぬまま、楽譜棚の奥底にしまっていた。

ところが先日Amazonサーフィン(?)をしていて、偶然この熊本マリさんが全曲を弾いているCD(たいへん素晴らしいお仕事!)を発見、さっそく衝動買いした。

しかし、全曲聴いてみた印象は微妙だ。奥村さんは原曲の響きにかなり手を入れていて、約半分の曲には共感できるが、残り半分には違和感を覚える。

この私の感じる違和感の正体が、たまたま今読んでいる内田先生こと内田樹さんの「呪いの時代」に何とそっくり書かれているので引用してみたい。

(86ページから)
(日本以外のアジアの多くの国々:欧米列強の)旧植民地においては近代化以降になされた社会的な営みのほとんどについては、それを記述する語彙も、それを批判する語彙も、それを改革したり乗り越えたりする語彙も母語内には存在しませんでした。植民地主義の実相と、そこからの離脱の方途について語るためには、旧宗主国植民地主義者の言語を借りなければならない。帝国主義の政治過程や経済活動やイデオロギー性について語るためには、当の帝国主義の言語を借りるしかない。これが旧植民地の言語状況のもっとも痛ましい部分だと僕は思います。

(引用終わり)

これに即して言うなら、この奥村一編曲の民謡のうち約半分は、ドビュッシーやらバルトークやらの影響が一目瞭然の、近現代風の和音による伴奏がそこはかとなく組み込まれていて、「我々日本人が日本民謡をピアノで演奏しようとするときに、なぜわざわざ西洋音楽から借りてきた音楽語法にのっとって表現しなければならないのだろうか?」と、何かこう国民感情(?)が逆撫でされるのである…。

思いっきり西洋かぶれ(?)な趣味をやっていても、なんだかんだいって自分は日本人なんだなぁ…。

モンセラートの朱い本より《母なるマリアに》

天上の響きのする音楽(7/10)

楽曲解説はこちら。

モンセラートの朱い本 - Wikipedia

この時代のこの手の楽曲はポリフォニックな手法で書かれているものが多いが、この《母なるマリアに》に関しては、楽譜上は3声だが、ソプラノの主声部+伴奏の構造になっている感じがする。

youtu.be

【原曲】
サヴァールエスぺリオン20のCDが愛聴盤。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0045QLQSA/ref=dm_ws_tlw_trk8

【楽譜】

これの4曲目

http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/7/78/IMSLP187398-WIMA.0077-LlibreVermell.pdf

弱音ペダル

昨夜、自分の録音を聴き直していたところ、まるで弱音ペダルを踏んでいるみたいに錯覚して聴こえる箇所が有ったので、この話題を書いてみたくなった。

子供の頃にアップライトを弾いていた時は、ある時期から、弱音ペダルを踏みっぱなしにする癖がついてしまった。これは、アップライトでこれを踏むと純粋にハンマーと弦の間の距離が近づくため、音のコントロールがし易くなるので本能的にそうしていたのだと思う。

練習環境がグランドになった最初の時期、大学でサークルの練習場にあるピアノを使わせて貰っていた頃は、最初のうちはモコモコした音のほうが好みで弱音ペダルを踏みっぱなしにしていたが、ある時期から耳が慣れて踏まなくなった。

自分のピアノがグランドになってからは、実はこれを一切踏んだ事がない。
うちのピアノはヤマハの量産モデルの為か、弱音ペダルでハーフペダルさえできず、ある踏み込み深さを境に、いっきに音質が変化してしまう。このペダルを使い込んだり、調律師さんに頼んでハンマーについた溝をいじってもらったりして、右ペダルと同じく様々な深さでちょっとずつ音質を変えて踏めるようになっていれば、より音色の変化がついた演奏ができたかも知れない…。

モンセラートの朱い本より《輝ける星よ》(ピアノによる演奏)

天上の響きのする音楽(6/10)

中世歌曲のピアノ編曲が、もう少し続きます。

お蔵入り楽譜の奥底にランディーニとともにねむっていたのが、この秘曲「モンセラートの朱い本」だった(同じく、ピアノで弾けるなどと思いもよらなかった)。
楽曲解説はこちら。

モンセラートの朱い本 - Wikipedia

サヴァールエスぺリオン20の演奏を参考にして、右手旋律のタイを取っ払って弾いている。


【原曲】
サヴァールエスぺリオン20のCDが愛聴盤なのだが、だいぶ創造的な演奏である。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0045QI2I2/ref=dm_ws_tlw_trk2

【楽譜】

 http://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/7/78/IMSLP187398-WIMA.0077-LlibreVermell.pdf

これの2曲目。最初の方の調で弾いている。
左手をオクターヴ下げて弾けばバイエル並みの難易度と思うのだが、そうすると何かが失われる気がする。
プレインベンションならぬ、プレ"イベリア"にいかがでしょう(笑)。

お昼休みに見つけた面白い記事

会社で昼休みにニュースサイトを閲覧していて、面白い記事を見つけた。

沖縄14歳少女が読み上げた「平和の詩」の衝撃 | 「コミュ力」は鍛えられる! | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

まるでピアノ演奏と双子の兄弟のようだと思ってしまったのだが、あるフレーズを音楽的に弾けないというのは、この例でいうと「太郎は悲しかった」「秋になった」という表現になってしまうのだと思う。一方、音楽的な演奏というのは、同じことを「太郎は歯を食いしばり、必死で涙をこらえた」「公園は色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさかさと音を立てた」という風に表情がつけられることなのだと思う…。

ピアノ演奏の聴衆は何を聴いているのか?

今日は大量に積ん読く(?)していたCDを聴く時間を設けていたのだが、体調が悪いので断念してしまった。

ピアニストが表現していることを聴き取る能力が、実はピアノを弾く時と同様で、私自身の体調にかなり引きずられる。具合が悪い時は、名演と思っていたCDでも、ただうるさいだけに聴こえたりするのだ。

こういう状態の時に演奏を聴いて良し悪しを判断するのは、極力自粛している。

ピアノ演奏の聴衆は、いったい演奏の何を聴いているのだろうか?
これは聴き手によっていろいろだと思うのだが、私の場合に限って言うと、高校生の頃は
「そのピアニストがどんな人間で、その曲を演奏することで何を表現したいのか」
を聴いていた。
しかし、自分自身でも少しはこの楽器を弾くようになって、後半を改めた。
ピアニストが自己表現のために楽曲を利用するという姿勢は、一歩間違えると、その奏者の才能を徹底的に食いつぶす。
「そのピアニストがどんな人間で、何を背負ってその曲を演奏しているのか」

私はこれを聴いていると思う。

ランディーニ:La bionda trecca(ピアノによる演奏)

天上の響きのする音楽(5/10)

この演奏は若干付け焼刃的だ…(いつも付け焼刃だが…)。
原曲は3拍子系の曲で、もっと早いテンポで歌われている。ゆっくり弾いたほうが良いと感じたのだが、果たしてどうだったか…。
これら全3曲のランディーニ歌曲編曲は、入院騒ぎを起こした翌週の食事制限中にまとめて録音した。ほぼ初見で挑めるのを良い事に、エイヤーと録音してしまった。本当は1週間に1曲のペースを守りたかったのだが、病後のエネルギーの落ちた状況じゃないと、こう弾けない気がしていた。

これを書いてなかったのは不親切だったかもしれないが、これら3曲はpp~pppppの音域で弾いている(アップロードした際に音量が最適化されてしまって、分からないかも知れない)。
これ以上大きな音で弾くと何かが失われてしまう気がして、あえてこの音量で弾いた…というよりも、この音量領域ならこれらの曲がピアノで弾けることを確認した。
なぜそうなのか上手く説明できずにいたのだが、とあるアマチュアの方がblogにアップロードされていた、ピティナの先生がバイエル後半水準の曲を指導的な演奏スタイルで弾いている動画を見て、何となく分かった。
そのピアノからは、いかにもハンマーが弦をコツコツと叩いているような音が鳴っていた。
私はこの、ハンマーが弦を叩いている感じを、限りなく消し去りたかったのだ。なんせ中世歌曲なので…。

【原曲】
アノニマス4による演奏

https://www.amazon.co.jp/dp/B00GT01K3G/ref=dm_ws_tlw_trk15

【楽譜】
初めてChoral wikiのお世話になった。

http://www0.cpdl.org/wiki/index.php/La_bionda_tre%C3%A7%C3%A7a_(Francesco_Landini)

このpdfの楽譜をオクターヴ上で弾いている(2ページ目は繰り返しのため省略)。
やはりバイエル後半くらいの難易度だが、和声進行が少し難しいと思う。

いち読者として...

特に面識があったわけでは無いのだが、同じアマチュアの(…と書くのは失礼かもしれない、私は愛好者だがピアニストというほどの力量が無いので…)方が、倒れて重傷らしいという情報を知り、私自身この前入院騒ぎを起こしたばかりだった事もあり、さすがにへこむ…。

もう随分長い期間(1年半くらい?)blogを一方的に、楽しみに読ませて頂いていた。コメント欄にひと言お礼でも書いておけばよかったと今にして思うのだが、どうしても書き込めない事情があり、、、
ハンドルネームを持っていないのだ。家内から実名を使うなと釘を刺されている🔨のだが、気のきいたハンドルネームが思いつかず今に至る…。

私のように、さしたる後遺症もなくピアノ生活に復帰されるようにと、いち読者として、面識もないのに誠に勝手ながら、思っている。

ランディーニ:Angelica bilta(ピアノによる演奏)

天上の響きのする音楽(4/10)

(前回からの続き)
この機会に、アノニマス4のランディーニ集のCDに入っている作品で、楽譜が公開されており、しかもピアノで無理なく弾ける曲がないか探した。

同CDで2曲目に収録されているこのAngelica biltaの楽譜が、IMSLPに公開されていた。

【原曲】
アノニマス4による演奏

https://www.amazon.co.jp/dp/B00GT01360/ref=dm_ws_tlw_trk2

【楽譜】
IMSLPに公開されている手稿は、中間の声部が書き加えられているように見受けられた。

Angelica beltà (Landini, Francesco) - IMSLP/Petrucci Music Library: Free Public Domain Sheet Music

この余計な声部を取り払ったあと、アノニマス4の演奏を聴きながら幾つかの音を修正したので公開する。
難易度的にはバイエル後半程度だと思うのだが、ペダルが踏めないと響きがつくれないので、大人の初級者向けだと思う。

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ヴラディゲロフのシュメンop.29を聴いて考え込んでしまった

ギレリスが若い頃(1950年)に抜粋で録音したのを聴いて以来、とても気になっていた曲集だったのだが、今回ドイツのANTESというレーベルにPopovというピアニストが全曲を録音しているのを見つけて買ってみた。

しかし私は、この全曲演奏を聴きながら、"最初にこの演奏で出会っていたら、果たしてこの曲集を気に留めていただろうか?"と真剣に考え込んでしまった。
決して悪い演奏ではないのだが、ギレリスに比べて何かが弱い。

それは、合理的なテクニックとか、楽譜に忠実な解釈とかではなくて、もっと根本的な何かだ。
現在のパラダイムで傑作と見なされていない作品が、その人が弾く事によって印象が激変するような、再現芸術家としての"強度"のようなもの。

ランディーニ:春は来たりぬ(ピアノによる演奏)

天上の響きのする音楽(3/10)

先週の入院騒ぎで、手持ちの録音ストックをすべて吐き出してしまった。吐き出した分だけ休もうかとも考えたのだが、できれば続けてみたくて、何か弾けるものが無いか探した。
譜読み労力がほとんどかからない曲で、しかも、その作品の世界観にすんなり入れて、弾きならす必要のない作品…。簡単には見つからなかった。

やがて、お蔵入り楽譜の奥底に、ランディーニを見つけた。
去年の秋くらいにピアノで弾けないかどうか検討して、結局だめと判断した「春は来たりぬ」。ピアノで弾く替わりに、買ったばかりの譜読み練習用キーボードで、琴の音色で録音してみた曲だ。

これを試しに視奏してみたところ、病気でエネルギーが落ちてしまっている現在の私と、不思議と波長が合った。しかも、テーマ"天上の響きのする音楽"の途中に挿入してしまって、何の遜色もないように思えた(続く)。


↓昨年の秋に、キーボードで録音してみたもの

【原曲】ランディーニはアノニマス4のCDを愛聴している。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00GT01266/ref=dm_ws_tlw_trk1

【楽譜】この2声を左右の手で弾いている。バイエル後半程度の難易度だと思う。

Ecco la primavera (Landini, Francesco) - IMSLP/Petrucci Music Library: Free Public Domain Sheet Music