メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

ピリスのモーツァルトとショパン問題(2)

ショパン前奏曲集op.28(DG'92)

・〃:ワルツ集(Erato'84)

・〃:ノクターン全集(DG'95,96)

 ショパンに関しては主観を前面に出して表現する、この時期のピリス。その音楽を受け止めるのは、録音中ではop.28の前奏曲集が最適で、振れ幅の大きい音楽が展開される。

ワルツ集とノクターン集は、私の中では長らく食傷中で、コレクションに並べだしたのは、ほんの最近である。

今回ワルツ集を聴き直してみて感じたのは全14曲の多彩さで、曲集としてのまとまりが、実はずっと前奏曲集に近い。後述のノクターンと比較すると、それぞれの曲が奏者の音楽の様々な面を受け止めていて、重すぎる感のある曲も含め、小宇宙的な多様な世界が広がっている。

最後に一番迷ったのがノクターン集をどうするかであった。
ノクターンに関してはルービンシュタイン盤を座右に置く私にとって、この全集は、作品とピアニストの距離が近すぎる。奏者の強すぎる思い入れを、ほとんどのノクターンが十分に受け止められないと感じてしまうのだ。

だが、結局コレクション棚に残すことにした。
私は少なくとも現時点で好きではないが、真に優れた演奏のひとつだと直感したからである。

CDのコレクションも本質的に、「私が優れていると思う演奏」と「真実として優れている演奏」の双対問題である。
「私が優れていると思う演奏」のみで構成されたコレクションは、私がそのすべてを「他なるもの」の領域に回収してしまい、創造性を欠く。
「真実として優れている演奏」のみで構成されたコレクションは「私」が消失する(音楽が私を「他なるもの」の領域に回収してしまう)。
コレクションの持つ豊かさとは、この双対を一方側に解決しようとせず、絡み合ったまま置いておくことだと思う。