メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

応用数学発、内田先生とピアノ経由、ゲド戦記行きの着想(1)

「科学とは、圧倒的な不可解を前にした、明晰性の努力である」

「信仰とは、圧倒的な不条理を前にした、倫理性の努力である」

2,3日前に、たまたま仕事で使う概念を考えていたところ、これまで人生で接してきたものの幾つかがガラガラと音を立ててつながってきた。忘れないうちに、ここに書いておきたい。

【仕事で出会った双対的なもの】

(1) クラマース・クローニッヒの関係式 - Wikipedia

出発点はこのクラマース・クローニッヒの関係式。式中の周波数応答関数の実部と虚部が、ヒルベルト変換によって双対的になっていること。互いにあちら側の全領域を積分する事でこちら側がわかるという関係になっており、例えば物質の屈折率を全波長領域で計測することで、消衰係数が計算される。反射スペクトルのクラマース・クローニッヒ変換による解析 - HORIBA

(2) 頻度論的統計とベイズ統計の本質的な違いをまとめたただ1枚の表(今学期の授業) - さんだーさんだ!(ブログ版)

この表を見たとたん、ほとんど同じ事を相手にしていると思ってしまった。表中の母数(起こる事象)とデータ(私に起こったこと)が同じような関係になっていて、更に以下のような条件で拘束されている。

・生身の「私」は起こりえたことを受け取る側に存在する。そのため、頻度主義的な見方をしようとベイズ主義的な見方をしようと、状況を「私」側から捉える事になる。

・真に起こる事象を全領域で積分するのは、実世界ではしばしば不可能。

私はこの表を以下のように書き換えてみたい。

・頻度主義者にとって(起こる事象、私に起こったこと)は(真実、うつろい)

ベイズ主義者にとって(起こる事象、私に起こったこと)は(うつろい、真実)

 

少し具体例を加える。

息子が、おもちゃ箱の中に何かを2つ入れて持ってきた。息子が集めているのは、プラレールとミニカーである。 箱を半分だけ開けると、プラレールが1つだけ見えた。そして全部開けると、もう1つはミニカーだった。

この状況を、箱の中に入っている組み合わせの真実はひとつであって、先ず1つはプラレールであることが明らかになっり、次にもう1つがミニカーである事が明らかになった…と、私に起こった事象を全積分して固定された真実をとらえるのが頻度主義的。

一方、最初は両方プラレール、両方ミニカー、それぞれひとつずつである真実が混在していて、開けられるに従い両方ミニカーである真実と両方プラレールである真実が順次消滅した…と、私に起こった事象を固定して真実(と考えられる事象)の全積分としてとらえるのがベイズ主義的。

(続く)