メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

応用数学発、内田先生とピアノ経由、ゲド戦記行きの着想(3)

ゲド戦記シリーズ】

この物語と再会したのはほんの半年ほど前、息子の好きな電車の本を借りに図書館に行くと、私が中学のころ読んだこのゲド戦記が文庫化されていて「児童書」コーナーに置いてあった。「影との戦い」をついでに借りてきて読んだところ、その内容に驚愕してしまったのである。
(4)「影との戦い ゲド戦記1」(ル=グウィン

私の好きなサン・テグジュペリや(内田先生の説くところの)レヴィナスが回復しようとした(と私が思っている)「私の中に偉大なるものの視座を持つこと」は、キリスト教文化の終焉する世界で「私」と「偉大なるもの」の双対的な関係が「私」を主軸に片寄りかけていることに対する是正の試みとして捉える事ができる。

これは、その物語版である。

大変な才能に恵まれ将来を期待されている魔法使いの卵「ゲド」が、自らの才能を誇示するために「影」を呼び出してしまい、大怪我をして一時生死をさまよう。傷がいえて魔法使いとなった彼が追いかけねばならない敵が2つあった。ひとつは西方にいる竜で、古来からの文献でおおよそどんな生き物かがわかっていて、名前がある(彼の概念世界で回収できる)。もうひとつは自らが放ってしまった「影」で、それが何であるのか一切わからず、名前がない(彼の概念世界で回収できない)。
この「竜」と「影」のメタファーを内田先生は「リスク」と「デインジャー」と表現されている。デインジャーとリスク(しつこい) (内田樹の研究室)

フランク・ナイトは「リスク」と「不確実さ」という言葉をあてている。フランク・ナイト - Wikipedia

さて、竜を退治したゲドは次に「影」と戦うのだが、どうしたかというと、彼は概念世界のいちばん外れである境界まで行って、そこで、自らの分の影を引き受けたのである。

(5)「こわれた指輪 ゲド戦記2」(ル=グウィン
レヴィナスと愛の現象学」の音楽的な意訳を考えながら、私はふと、「私」と「偉大なるもの」の双対的な関係が「偉大なるもの」を主軸に片寄りかけていることに対する是正の試みも、有る(かつて有った)のではないか?と自問した。

おそらくこれが、その物語版である。

「名なき者」に一生を捧げるように育てられた巫女「テナー」が、自らの責任ある自由を勝ちとる話なのだが、先日この対比に気付いた私には、自らの勉強・経験不足のため、あらすじを高めの視座から書き下すことができない。
しかし「影との戦い」と「こわれた指輪」がこのような対比関係になっていることを確信している。

(おまけ)

さいはての島へ ゲド戦記3」(ル=グウィン
残念ながら今の私には、このゲド戦記3に秘められた叡智を引き出せずにいる(単なる物語に読めてしまう)。ゲド戦記1-3までは同時期に書かれており、同じような深さを持っているはずである。もう少し馬齢を重ねれば、死ぬまでには何かを引き出せるかもしれない…。

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