メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

コルトーの1950年代の録音をどう聴くか

【CDコレクションの未解決問題 EX.02】

駅ビルの中に入っていた新星堂が幻の日本録音を含む「アルフレッド・コルトーの遺産」全15集を発売すると聞いて欣喜雀躍したのは、高校1年生の時だった。
しかし、肝心の「コルトー・イン・ジャパン」を含めた晩年の録音は(野村光一さんの批評を読んでいて覚悟はしていたが)余りのミスの多さにがっかりして、結局多くを売り払ってしまった。

何年もたって今、「コルトー・イン・ジャパン」を含む記念BOX40枚組を入手して、晩年の録音をどこまで許容するか散々悩んだ。
悩んだ末に、大半をコレクションに加えることにした。
私自身が年を取り、どんな音が鳴っているかよりもどんな音楽を弾こうとしているかに、昔よりも耳が向いているのかもしれない。


以下、今回聴き直して特に思ったこと。

・実はメカニックそのものは、思ったほど衰えていないのではないか?
(スケールとかはしっかりしている。両手とも和音を掴みながら忙しく跳躍するような箇所が、崩壊する)。
・戦前の録音と比較すると、じつは以前も同じく弾けていないのが若々しい覇気でカバーされていたりする。
(造形への意思・気力が、年相応に衰えている)。
・録音技術が確実に良くなっていて、これらの録音の存在価値を高めているのは否定できない。

主要曲の録音を、出来が良いと思った順に並べると、こうなった。

(以前の私は(3)までしか許せなかった。今回聴き直して(5)か(6)まで許容できる。イン・ジャパンの葬送は調子が良くないが、小品のいくつかにはなお聴くべきものが有る)。

(1) 子供の情景子供の領分('53)
曲が曲だけに技術的な衰えは気にならない。前の録音('47)と比べてもさらに深みを加える。「雪は踊っている」の中間部で一瞬即興的に詩情が燃え上がるのが強い印象を残す。

(2) 前奏曲集op.28ライヴ('55)
造形への意思力が後述のスタジオ録音より強く、最盛期の録音と並べて置いておいても遜色がない。

(3) 葬送ソナタ('53)
晩年の同曲録音の中で、指が一番安定。

(4) 交響的練習曲(と謝肉祭)('53)
一部の変奏がたどたどしいが、前の録音('29)から音楽に加えたものが大きい。
謝肉祭は好きな作品ではないが、同じことが言えると思う。

(5) クライスレリアーナ('54)
交響的練習曲と比べると崩壊具合が大きい。指が収まっている個所は傾聴する。

(6) 前奏曲集op.28とバラード集('57)
これも同じく、崩れる個所は大きく崩れるが、正確に弾いている個所の音楽は素晴らしい。

(7) 葬送ソナタのライヴ('56)とイン・ジャパン('52)
何れも'53の録音に比べると調子が悪く、ミスタッチが多い。
加えてイン・ジャパンは、残響少なめの録音が好悪を分けると思う(私はアビー・ロード録音のほうが好き)。

前奏曲と葬送のライヴ録音は記念BOXにはなく、GreenDoorのCD。 

最後に、記念BOXで特に素晴らしかったと思うのは、

歳をとって深まるものと失うものがあるのを伝えるかのような、老いたコルトーのなおも眼光の輝く表紙写真の見事さと、

最晩年のマスタークラスの録音(CD38)でベートーヴェンの「悲愴」と「月光」の演奏の一部が、ホールの残響豊かに、まるでステレオ録音のようにとられているのを聴けた事だ。