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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

葉っぱのフレディ(3)

読書

(2) もう一ヶ所の象徴的な場面は、地面に落ちていくフレディが自分が生まれ育った木を見るシーン

As he fell, he saw the whole tree for the fist time. How strong and firm it was! He was sure that it would live for a long time and he knew that he had been a part of its life and it made him proud.

みらいななさんの意訳は、こうだ。

『その時初めてフレディは木の全体の姿を見ました。なんてがっちりした、逞しい木なのでしょう。これならいつまでも生き続けるにちがいありません。フレディはダニエルから聞いた "いのち"という言葉を思い出していました。"いのち"というのは永遠に生きているのだということでした。』

死にゆくフレディは自分の生まれ育った木の姿に”永遠なるもの=造物主=神様”を見いだす。この、自己の世界認識を拡大した先に神様と出会うという構造が、前述のように一元論的だ。

一方、直訳版のフレディが木を見て認識するのは自分より一回り大きな生命であり、そのなかに”永遠なるもの=造物主=神様”の面影、後光のようなものを、ほんの微かに感じる程度である。

この「フレディが住む世界とは別の世界の有り様を、フレディは基本的に認識することができない」という二元論的な命題は、直訳版の至るところに垣間見られるのだが、意訳では、読者の衝撃を緩和するかの如くぼかしてしまった結果、私が読んだ時の”心をぶっ叩かれる感じ”が随分と薄まり、道徳の教科書に出てくるような話になってしまった。

 

(3)「道徳」という日本語も、英訳するのが難しい。

まとめると、

Mirai-san translated "The Fall of Freddie the Leaf" to cause the fall of Freddie's in the leaf of DOTOKU text.

かな??