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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

キリスト教と世界宗教(シュヴァイツァー)(1)

我々の時代は、シュヴァイツァーが遺した英知を十分回収しきれずにいると思う。

子供のころ、私にとってシュヴァイツァーはアフリカで病気と闘った偉大な医師だった。やがて、その大著『バッハ』の鍵盤音楽に関するところだけを拾い読みし、偉大なバッハ者であった事を知った。そしてまた本作によって、偉大なキリスト者ではなかったかと確信している。

私が、純粋なキリスト教に関する書籍で読んだことがあるのは、この本しかない。ここに主要な個所を抜粋して、私が汲み取ったものを書き置きしたいと思う。

(なお本書は、世界各地に布教に赴く宣教師のために、キリスト教が他の宗教と比較していかに優れたものかを説いた講演の体裁をとっている)

(1) キリスト教の立ち位置

キリスト教は、後期ユダヤ教的敬虔心の観念世界から生まれたイエスの独自の創造であったが、その発展の中で後期ギリシャ・オリエント的諸密儀宗教の宗教心と混合し「ヘレニズム化」することによって落魄した。

キリスト教ギリシャ的敬虔心との類似点は、何れも世界認識において悲観主義的であり、そこからの救済が目的になっている。両者の最大の違いは、前者が神の国の到来に対する希望に支配されているのに対し、後者は神の国の観念について何も語らない。

・それゆえ、ギリシャ的敬虔心にとって神とはただ純粋な精神性であるにすぎず、その働きかけは『汝自身を世界から自由にせよ!』となる。一方キリスト教では神は人間の中に働いていて、その働きかけは『世界から自由になれ、汝自身を神の霊と愛とによってこの世界の中にて活動させるために、神が汝自身をもう一つのより完全な世界に移すまで!』となる。

キリスト教にとって神は世界において作用している力の総括概念ではない。神は世界と異なるところにあって、世界に"善なる行為への意思"として働く。

・この、現実の世界と、それとは異なるところにあって倫理的な力を及ぼす神との対立関係、そしてこれとともに生ずる悲観主義と楽観主義との緊張関係にこそ、キリスト教の特有性がある。

・イエスの思想の近代的解釈:我々個人の倫理的努力によって神の国が地上に実現されるはずであるという観念は、誤りである。イエスの説く神の国は神によって実現されるのであり、我々の倫理的行為は、神に対する祈願のようなものに過ぎない。

・イエスが人間の倫理的行為と神の国の実現とのあいだに有機的結合を行わなかったことには深い意味がある。イエスはいかにして完全な倫理的に組織された社会がそれによってそれによって実現されるかという事を目指して彼の倫理を立てているのではなくて、神の意志への献身という事の完成に向かって互いに努力する人間についての倫理を説いている。

(つづく)