読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

シゲティのバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(Vanguard)

幾つかの曲を、シェリングの67年盤、メニューインの1回目の録音と比較しながら聴いた。シェリングメニューインが素晴らしい演奏なのを重々承知のうえで、やはり格が違うと改めて思った。シゲティの演奏を聴いていると、なぜか教会の中で聴いているような錯覚にとらわれる。

無粋を承知で、なぜこうも違って聴こえるのか、思ったところを書いてみたい。

ひとつ決定的に感じるのは、シゲティがバッハの音楽語法に相当精通しているのではないかという事だ(古楽前夜の時代の録音なのだが)。一例をあげるなら、ソナタ2番には弟子筋?によるクラヴィーア編曲版(BVW 964)があって、2楽章のフーガを、多声部が"復元され気味"の鍵盤スコアを見ながら聴いたのだが、シゲティの演奏で聴くと、展開が盛り上がりを見せて足鍵盤が入ってくる個所(と私には聴こえる30小節目あたり)で、ぐっとテンポを落として力いっぱいフォルテを鳴らし、まるでそれが手に取るように分かる。シゲティの演奏には、こういう個所が至る所にあり、バッハがヴァイオリン一丁に託した”隠れた”ポリフォニーを、しばしば時代がかった表現(テンポの揺らしとかポルタメントとか)で復元しようとする造形性が感じられて、これが他の演奏と分ける決定的な「隠し味」になっている気がする。