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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

アニー・フィッシャーのベートーヴェン:ソナタ全集(Hungaroton)

今日聴いたCD

アニー・フィッシャーのBBCに録音したベートーヴェンソナタ集を購入して聴いたのだが、Hungarotonに残した全集とそれほど異なる印象を残さなかったので、考えた事をまとめて書いておきたい。

私のベートーヴェン経験の一番のターニングポイントは、グリーンドアから復刻されたマーク・ハンブルクの「悲愴」「月光」を耳にした時だった。

現在の権威的なベートーヴェンの弾き方とは全く異なる体系的な演奏法が、あるいはレシェティツキ系列の中にあったのではないか?それは快活な拍感を伴った表現主義的な演奏スタイルで、このハンブルクの演奏に一番バランスよく聴かれ、シュナーベル表現主義に寄り過ぎて拍感の面白さが薄れ、逆にモイセイヴィッチが端整な演奏スタイルの中に拍感を維持しているように聞こえる。

この、現代のブレンデルバレンボイムの録音では消失してしまった「快活な拍感」が、唯一なぜかこのアニー・フィッシャーの全集に感じられるのである。

この奏者はハンガリー出身でまさに独墺系であり、事実和声の感じ方は独墺系奏者のそれなのだが、生来の鋭いリズム感で本能的にスコアから導き出してきたのだろうか?ハンブルクのように演奏スタイルとして体系化されて存在していることを示すのではなしに、「快活な拍感」が音楽のそこかしこから、ひょっこりと顔を出すのである。

なおこの全集は、奏者が生前に発売許可しなかったという。自身が照らし出したものの"正統派"からの距離感がそうさせたのではないか?などと邪推してしまう。