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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

永遠的なものの継承様式1

(1) アメリカ大統領選挙の結果を受けて、大変に驚いている。ブレグジットに引き続き、立て続けにテイルリスクが現実化してしまった感じだ。

(2) "テイルリスク"などという言葉を使うと、事前にどれくらいの可能性で現実化しえたものか"知っテイル"つもりになれるが、実経済ないしは実社会というものは実験室の中の出来事とは違うので、数学的な道具を万能の杖がごとく振り回すのは慎まねばならない。

(3) ある数式が示すものを、ある社会的な現象に対応させることが孕む滑稽さを承知のうえで、最近考えたことを(忘れないうちに)走り書きしておきたい。

(4) これは、私が人生で経験した幾つかの事象に共通してまたがっていて、ピアノを弾く際にも大事になってくると考えられる。

(5) 内田樹先生が「死者と他者~ラカンによるレヴィナス」で、このようなことを書かれている(p.53-54)

情報理論が教える通り、学知の「内容」は相伝によって変化し、情報の「汚れ」を蓄積してゆく。どのような保存方法をもってしても、純粋状態で古代の聖賢の学知を保存することはできない。しかし、あるラビがその師であるラビから学んだとこの「学ぶ作法」は純粋状態で継承することが可能である。なぜなら「作法」は「もの」ではないからだ。

「作法」とは私たちが星を見上げるときの視線の仰角に似ている。芸道において、「指を見るな、月を見よ」ということがよく言われる。私たちが師から受け継ぐのは、師が実定的に所有する技芸や知見ではない。そうではなく、私たちの師がその師を仰ぎ見たときの視線の仰角である。師がその師を星を見上げるほどの高みに仰ぎ見ている限り、
 仮に私の師と私の間の間にどれほどの身長差があっても、仰角のぶれは論じるに足りない。視線の角度は正しく継承され、私はそれを次代に相伝することができる。

(引用終わり)

(6) 先日会社で仕事をしていて、これとほとんど同じことを言っているような概念に遭遇した。それは、関数の方向微分(乃至はリー微分):勾配ベクトルと速度ベクトルの積が座標不変量を与えるという話である。方向微分 - Wikipedia (これは恐らく、あるベクトルとそれに双対なベクトルの内積をとると体Kに張り付くという話を関数の場合でしたものだが、こう書かれると非常に直感が働く)。

(続く)