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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

非等拍系の作曲家

今朝ネットでハーフタッチについて検索していたところ、現代奏法を教えられているピアノ教室の非常に秀逸なページを見つけて、大変勉強させて頂いた。

更に楽曲解説のところを覗いたところ、ショパンに関して、極力テンポを動かさないようにと書いてあり、現在の私は若干考えを異にするため、ここにまとめておきたい。

コンスタンチン・リフシッツがバッハの音楽の捧げものとフレスコバルディを弾いたCDの解説書にこんな事が書いてあり、私にとって天啓であった。

「(フレスコバルディのいくつかの作品は)作曲者が優れた鍵盤奏者であった事に由来して即興的かつラブソディックに書かれていて、ショパンスクリャービンとならんで全くピアニスティックなものである」(やや意訳)

この3人の多くの作品に関しては、楽句の持つ情念の準位に応じてテンポ(拍)を変えて弾いたほうが自然に聴こえるというのが、私の、聴き手としての体験による実感である。

(1)ショパン

昔、スタニスラフ・ネイガウスショパン(とスクリャービン)がどうしてあれほど見事なのか色々と考えたことがあり、そもそも拍の捉え方が違うという結論に達した。
いわゆる世のショパン弾きは結構この拍で弾いていて、例えばポブウォツカなどはショパン以外でもショパンの拍で弾いて、しかも様式感の違いを越えた説得力があって見事だと思う。

(2)スクリャービン

前述のスタニスラフ・ネイガウスドビュッシーとの違いを「ドビュッシー印象主義スクリャービン表現主義」と言っていたという。
この作曲家はショパンよりもがっちりと書いている感があるが、やはり非等拍で弾いた演奏のほうがしっくりくる。
録音で記憶に残っているのは、見事な音色コントロールを示しながら、等拍ベースで弾いているため画竜点睛を欠く印象を受けたサドビンと、およそスクリャービンとは合わなそうと思っていたが非等拍で弾いていて唸ってしまったフェルツマンの演奏。

(3)フレスコバルディ

これは前二者に比べて、録音も私の体験も少ないのだが、引用したリフシッツの演奏は等拍で弾いていて、何かが抜け落ちてしまっている。私が好きな録音は、恐らく歴史的名演にランクされると思われるロレッジァンのもので、非等拍どころか所々即興的だ。
更に個人的な体験を加えると、トッカータのいくつかを譜読みした事があり、右手に出てきた主題が左手に現れた時に、音価が異なるということが結構あった。バッハが認めるほどの対位法の大家の譜面でこういう事が起きるのは、自在なテンポで弾かれた即興的な演奏を、小節線の書かれた五線譜に力業で写し取ったためではないかと思っている。

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