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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

プロコフィエフ:自作自演集(Naxos)

プロコフィエフに関する最大の誤解は(ひょっとすると誤解しているのは私のような世代だけかもしれないが)、その主要なピアノ作品が世界的に認知された時代が、ソ連の重戦車ピアニズム全盛期と重なってしまい、そういう弾かれ方をした録音が代表的な演奏になってしまっている事だと思う。

ソ連のピアニストといえば重戦車だった時代は、録音で聴く限りではリヒテル・ギレリスの世代からペトロフ・モギレフスキーあたりまでであり、実はそれ以前のピアニストは多くの異なった弾き方をしている。

ここに聴くピアニスト・プロコフィエフの弾き方が、20世紀の著名なピアニストの中で誰に似ているかといわれれば、あえて言うがアルゲリッチオスカー・ピーターソンである。

今日、戦争ソナタを30分ほど音取りする時間を設けて、弾いていて確信したのだが、この人の作品は間違いなく鍵盤の底への衝突を極力避けるような弾き方で弾いた時にしっくりくるように書かれている(和音の急速な同音連打など典型で、鍵盤の底まで弾いてしまうと反作用の力を指が受けて不安定になってしまい、弾きにくくなる)。彼のffをリストやラフマニノフの大曲に出てくるffと同じような音量・音質のものと捉えてしまうのは作曲者本人の意図するものでは無いと思う。

私が録音を持っているピアニストの中で一番作曲者に近いピアニズムで弾いているのは(奏者自身の個性が前面に出てこないことも含めて)間違いなくクライネフで、彼がソナタ全集を残さなかったのはレコード史上の一大損失だと思う。ソナタ全集を残したピアニストの中では(あまりたくさん聴いたわけではないのだが)実は何とシャンドールのものが、タッチの線の細さで一番近いと思う(ただしアクセントのつけ方が作曲者の演奏ほど際立たない)。