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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

倍音(中村明一)

(1) 鍵盤をしっかり底まで打鍵することによって発生する下部雑音に関することを、これまでのいくつかの話題で言及したのだが、では私は下部雑音否定派かというと、決してそうではない。下部雑音の含まれた打鍵を聴くと、私は強靭な「意志の力」のようなものを感じ、これをドイツ物などの表現で使用するのは、ひとつの優れた演奏様式だと思っている。

(2) 下部雑音を聴くと「意志の力」を感じるのはなぜだろうと、ここ最近考えていたのだが、ふと、この倍音の本の存在を思い出した。

(3) これは大変射程の広い本で、一度に読みきれるものでは無く、これまで何度か図書館で借りて読んでいる。

(4) まず、筆者は倍音を<整数次倍音>と[非整数次倍音]に分類している。簡単に言うと、音楽をやる人間が言う"倍音"が<整数次倍音>であり、音程は判別できるが白色雑音を豊富に含んだガサガサした音が[非整数次倍音]である(したがって、上部雑音や下部雑音やペダルノイズを含んで打鍵するほど[非整数次倍音]の成分が増加すると考えられる)。

(5) 私が今回読み直したかったのは、この指摘の個所である。

西洋音楽は表現の強調を音量によって行うのに対して、日本の伝統音楽は表現の強調を[非整数次倍音]によって行っている(更には、言語運用時にも強調をしばしば[非整数次倍音]によって行っている)』。

(6) ここからは私の考えなのだが、例えばリヒテルが下部雑音というよりもうピアノが軋んでいるようなフォルテを出したり、バレンボイムがペダルを思いっきりどすんど踏んだ時、我々日本人は西洋人以上に、そこに豊かな強調表現を感得するのではないだろうか?

(7) ここからは完全に私の仮説なのだが、そうだとすれば、日本人のみが特に魅力を感じる、上部雑音・下部雑音が豊かに含まれる奏法というのが存在してもおかしくなく、それがハイフィンガーだったのでは無いだろうか(というのは言い過ぎだが、ハイフィンガーが流行した根底に、日本人特有の、雑音が含まれた音に対する好みが無かったであろうか)??

(8) 更にここからは完全に私の妄想なのだが、もしそうだとすれば、雑音を豊かに含んだ奏法を否定するのではなく(ピアノそのものは弾きづらい奏法だろうが)発展させて、"これこそ日本が独自に開発した世界に冠絶するピアノ奏法である"というピアノ演奏家が、 場合によってはその奏法でなければ演奏効果の出ないオリジナル作品とともに世に現れてもよかったのではないか(笑)。

(9) …と思うのだが、そうならないのは、そしてかく言う私もそんな状況が滑稽な冗談としてしか想像できないのは、内田先生言うところの典型的な"辺境人"マインドなんだろうなぁ。

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