メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

オイストラフ&オボーリンのベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ「春」「クロイツェル」

1920年以前生まれの、色とりどりの名ピアニスト群の録音を入手するときに、モノラル録音(SPへの録音ではなく、1950年代頃の)を避けたいタイプのピアニストが2種類いる。ひとつめは、ホロヴィッツチェルカスキーなどの「音色の魔術師」、もうひとつが下部雑音の発生を避ける音域をメインにして音楽を構築する奏者である。

なぜだか判らないのだが、この下部雑音の使用を抑えた音域で演奏するピアニストがモノラル録音で録られると、タッチの魅力を一切取りこぼしてしまう。私にとって典型的な例はギーゼキングで、私は彼の遺したわずかなステレオによるベートーヴェンのタッチを聴いて、まさに椅子から転げ落ちるほど驚いたものだが、他にカサドシュ、マガロフなども、モノラルとステレオで印象が激変する。

同じ世代のロシアのピアニストでこれが当てはまるのは、ギンスブルグとこのオボーリンであろう。

この奏者は名声の割に何故か録音が少なく、ソロの演奏でステレオ録音というのを聴いた事が無く、タッチをステレオで確認しようとしたら、このオイストラフの競演や他の幾ばくかを当たるしかない。

ここに聴くオボーリンの演奏は、音楽のつくりは弟子のアシュケナージと似通ったところが感じられるが、打鍵の深さはアシュケナージよりも更に浅い位置を狙って弾いていると感じる。

彼らモノラル~ステレオ初期にかけて活躍した下部雑音を回避する音域で演奏する奏者の打鍵技術が、現代のトップ・ピアニストで主流になっている鍵盤の底への激突を避ける奏法と同質のものかどうかは、残念ながら現時点の私の力量では分からない。