メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

The Glory of BYZANTIUM(JADE)

まだ大学生だった頃、ムソルグスキーの『展覧会の絵』が、好きではなかった。まずプロムナードのテ-マの繰り返しがしつこく、曲全体をながめても、他のロマン派作曲家の連作と比べて長調短調の対比バランスも取れていないし…。

しかし、そんな私に訪れたひとつ目の転機は、大好きなラフマニノフを色々聴き出した時であった。有名なピアノ協奏曲2番や、同じスタイルで書かれた交響曲2番やソナタ2番だけでは気付かないのだが、その他のピアノ小品に接すると、けっこうムソルグスキーの響きに出会う。身近な例でいうと、有名なop.3-2の前奏曲の中間部をさらっていて、間違いなくここにはムソルグスキーがいると感じ、ラフマニノフを勉強するうえで『展覧会の絵』を聴くのは欠かせないと思ったのだ(ついでに言うと、スクリャービンからは、その後期作品でさえもムソルグスキーの匂いは一切感じなかった)。

ふたつ目の決定的な転機は、このビザンツ聖歌を耳にした時で、私の中ですべてがつながった。ラフマニノフの中のムソルグスキーだと思っていたものは、そして『展覧会の絵』に通底するのは、この聖歌の響きだったのだ!

ビザンツ聖歌のルーツだが、ローマ帝国が東西分裂した際にギリシャを中心とした東方のキリスト教ビザンツ帝国の国教ギリシャ正教となり、北方のスラヴ民族へ布教を行って東方教会を築いた。東方教会ではカトリックにおけるグレゴリオ聖歌と同様に聖歌が作られ、それがこのビザンツ聖歌であるという(以上、手元の「古楽CDガイド」より自由に抜粋)。

曲は混声で歌われたものと男性のみのコーラスが交互に入っているのだが、その非西洋和声的な転調といい、呪術的な雰囲気といい、私が「ロシア」という言葉から感じる、あの不思議さと不気味さの、まさに原風景を目の当たりにする。

ロシア出身の幾人かの奏者の持つ呪術的ピアニズムも、こうした精神風土から生まれてきたに違いない。