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メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

ヨッフェのショパン:ソナタ3番他(プロアルテムジケ)

人が"クラシック・オタク"と呼ばれるまでになるとき、先ず作曲家で聴いて、次に演奏家で聴く(そして更に、自身で演奏を試みる!?)という道を辿るらしい。

私の場合も、これは中学生頃なのだが、まずショパンの独奏曲を集め出し、その時に買った中にヨッフェの前奏曲全集があった。

その後すぐに、私の興味は"ショパン弾き"に移り(ホロヴィッツとかフランソワだ)、そんな中でこの前奏曲全集はどこかへ消失してしまった。

それからウン十年経ち、名ピアニストを順番に聴いていったところヨッフェにたどり着き、改めてもう一度聴いてみたいと思ったのが、ついこの前の事である。

最新の録音をチェックしてみると、プロアルテムジケから2枚ほど出ている。日本のクラシック演奏家招へい会社の自主制作盤と思しきこのレーベルは、完全に国内限定販売であり、試聴が一切できない!かつてここでデームスのCDを買って半分くらいはずして苦い思いをした私にとって、このCDを買うのは完全な賭けであった。

しかし、トラック1に収められたバラード4番の冒頭7小節ほど聴いた段階で、私は賭けに勝ち、素晴らしい掘り出し物(?)を入手したと確信した。それほどこの奏者のソノリティ・コントロールが見事であった。

あらためて手元の本(ピアノとピアニスト2003)の項をめくると、1952年生まれのソ連の奏者で、ゴルノスターエワに師事したとある。確かにここに聴くヨッフェの演奏も師同様に世代不詳系?に感じられる。弱音を主体にした音楽づくりは現代奏法をとる若手ピアニストと同じく、ゴルノスターエワに比べると音量でのフォルテははるかに少なく、音楽の強弱を音量ではなく響きと表情で造形する。一方、個々の楽想のアティキュレーションにおいて個人的な感じ方の表出という点では若手の奏者ほど露骨でなく、全体をながめた時に、奏者の個性がショパンの音楽を超えて聴こえるようなことが一切ない。最近聴いた録音で例えると、リカルド・カストロがArte Novaに録れた端正すぎるショパンを、端整さはそのままに草書体で書き直したような演奏になっている。

果たしてこの演奏スタイルが近年の至芸なのか、最初からこういう音楽を持つピアニストであったのか、私はかつての前奏曲全集を、もう一度聴きたいと思った。