メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

ガヴリリュクのブラームス:パガニーニ変奏曲他(PIANO CLASSICS)

アレクサンダー・ガヴリリュクは、彼が10代の頃にSACRAMBOWレーベルに入れた録音を聴いて以来、最も素晴らしいと思う若手ピアニストのひとりであった。鍵盤の底への衝突を避ける現代奏法をとりながらも、必要に応じて必要なだけの下部雑音を伴うフォルテを楽器から引き出すピアニズムの見事さは、まるでこれまでのソ連/ロシアのピアニズムの歴史を総括したかのような趣があった。

私が聴いた限りでは、この印象は2001年のデビュー盤から2011年にPIANO CLASSICSレーベルに録音したロシア物まで、一貫して持続していた。

ところが、この2015年録音の盤を聴いていると、タッチの感じが、どうも異なるのである。

感じたことを列挙すると、

・和音をフォルテで響かせる際に、ハンドペダル?(特定の低音のダンパーを解放して、強く共振させるやり方)によって響きを増強しているように聴こえる個所がある(以前はこのような事をする奏者ではなかった)。

・前の録音と比べて、聴き取れないほどの弱音を用いるようになった。これは、タッチの絶対音量が大きくなり、それに合わせてマイクが弱音のコクを取りこぼしているかもしれない(ちなみに録音場所はオランダにある教会で、2011年のCDと変わらない)

パガニーニ変奏曲や死の舞踏を旧録音と比較するとわかるのだが、以前の録音では、音楽が時間軸に合わせて強弱したとしても、主旋律をそれなりの深さと音量のタッチで弾いて、伴奏部を浅いタッチにするような、縦方向の響きのバランスを維持して弾いていた。それが新録音では、ピアニッシモのような箇所で、主旋律でさえも伴奏と同じくらいに音量を落としてしまうような弾き方になった。

 

全体として例えるなら、これまで室内楽だったような音楽のつくりが、交響楽に変わってしまったかのような印象を受ける。果たしてこれが録音状態による一過性のものなのか、それともピアニストの目指している方向なのか、次回作を買って確かめずにいられない。