メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

なぜ楽譜通りに演奏しなければいけないか

息子が習っているメトード・ローズの曲にスラーが出てくるようになり、フレージングを守らせることを考えねばならなくなった。

なぜクラシック・ピアノは楽譜通りに演奏しなければいけないのか?

もし息子に聞かれたら、こう答えるだろう。

「それは、あなたの人生を、より豊かなものにするためだ」。

これは、内田先生の本からの受け売りである。

もしピアニストが、楽譜に書かれていることを自分の良かれと思うように捻じ曲げて演奏する時、それはそのピアニストの世界観の、作品の形を借りた縮小投影であり、奏者本人は予め予定されていたものを作品から回収するのみである。

そうではなく、ピアニストが自分の美的感覚をいったん脇に置いて、なぜ作曲家はこの個所でそういう指示をしたか考える時、言い換えると、自分の美的感覚の及びもしない場所で成立している美の可能性について開かれて思考する時、奏者の内的世界の一部は新しく生まれ変わる可能性を秘めている。

最近よく思うのだが、我々が大人になるまでに習うもの(学問と言ってしまって差し支えないかも知れない)は2つの方向性があって、ひとつ目は生きるための術の習得を志向するものであり、もうひとつは、個を超えた視座の獲得を志向するものである。

私にとってピアノがどちらであったかは(そして息子にとってピアノがどうあってほしいかは)、言うまでもない。