メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

私が人生で出会ったもの・考えたこと

グールドのモーツァルト:ソナタ全集(CBS=SONY)

久々にグールドのピアノでK.545を聴いた。
私も馬齢を重ねたせいか、グールドが志向していたものが、何となくわかるような気がする。
1楽章を普通に読むと、まずピアノ協奏曲27番K.595の1楽章の第1主題を連想するような第1主題がピアノ(強弱記号ではなくて楽器の)で出てきて、その後協奏曲ではオケと掛け合いながらの展開が続くところを、僅か数小節の、Vnのきざみを連想させるスケールで代用して終始させる。

これをグールドの演奏で聴くと、冒頭からピアノがピアノであることを否定していきなり弦楽合奏として入ってきて、合奏のままスケールに入る。
こういう個所が至る所にあり、例えば次の第2楽章の冒頭の弾き方も、明らかにピアノではなく弦楽奏を模している様に聴こえる。

つまるところグールドは、モーツァルトソナタ中でピアノがピアノの役割をする部分、主観的に言い換えると、モーツァルトの中に1/3くらいある、ドイツロマン派につながる核の部分を極小化して音楽を作っている。

(これは、確かグールドが、モーツァルトは作風を初期のまま固定化すればよかったのだ!みたいな論を持っていたという話と共振する)。
しかし、モーツァルトの曲は、そのようにも読めると思うのだ。
この、当時のイタリアあるいはフランスの様式を前面に感じさせる演奏スタイルは、モーツァルトの持つドイツロマン派の側面を表に出した演奏と同じだけの説得力があると、私は思う。