メメント・モリ、あるいはピアノにかんするエトセトラ

あるピアノ愛好家が人生で出会ったもの・考えたこと

ピアノと私、主体はどっち?

年末年始で帰省している。
今回帰るうえでの楽しみは、坂本龍一のBTTBの楽譜(戦場のメリークリスマスのトリオ版の楽譜目当てで買った)を実家に置きっぱなしで、収録曲のインテルメッツォとアクアをいちど自分の指で触ってみたいと思っていた。

実家にはグランタッチの他にKAWAIのアップライトが有るのだが、アップライトの置いてある応接間は早速両親と息子が使っているため、先ずはグランタッチで弾き出した。

BTTBの印象は、正直言うと、
インテルメッツォ:思っていた程でもない
・アクア:噂ほど良くない
だった。

ところが、次にアップライトで弾いてみたところ、印象が激変!2段階くらい上方修正された…と言うより、私は何かを見落としていたのに気付かされた。

ふたつの楽器から出てくる音楽がそもそもちがうのだ。これは、音が違うとか言う話ではなくて。

これまで私は「私がピアノを弾いている」と思っていたが、実は結構「ピアノが私で弾いている」のではないだろうか?

ピアノが私を使って、今までたどってきた人生ならぬピアノ生を主張してくる。私はそれを可能な限り遮らないように処理しているにすぎない。私は楽器が美しい響きで鳴ってくれるときのみ、先に弾き進める事ができる…。

こう考えると、ピアノにまつわる数々の疑問が腑に落ちないだろうか?

・家での練習で上手く弾けて本番で上手く弾けないのはなぜか→演奏の主体を家に置いてきてしまったのだ。

・私はなぜピアノを弾いているのだろう?→実はピアノがあなたを使って弾いているだけなので、深く考えなくてよい。

・上手な演奏ができた→"私"が上手いんじゃなくて、その"ピアノ"が上手い。

来年は、自分の弾いているピアノの人格ならぬピアノ格に、もっと気を払おうと思う…。